ハンガリー柔道の父、安齊悦雄先生

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ハンガリー柔道の父、安齊悦雄先生 昨年までは拓殖大学柔道部OB会長として、そして昨年からは、静岡県柔道協会会長として活躍中の安齊悦雄先生。この春、ハンガリー共和国柔道連盟から、同国柔道の発展に貢献したことで表彰されたことが、16日の静岡新聞に紹介されていた。
 先月の拓大柔道部歓送迎会の日は、ハンガリーから帰国された翌日であったが、時差ぼけの疲れも見せず、後輩たちを前に熱弁を奮っておられた。

 コーチとしてハンガリーへ派遣されていた33年前は、私が拓大へ入学した年。入学時にお世話になった先生が、ハンガリーのコーチとして臨んだモントリオールオリンピックでは、ハンガリー代表の軽量級・トンチェック選手を、見事銅メダルに導く功績を挙げられた。

 これに先立つ数ヶ月前のヨーロッパ選手権は、ソ連のキエフで行われた。
 しかし、この選手権に出場すべきハンガリーの選手名簿には、トンチェック選手の名前は無かったのだ。

 「この階級なら、あいつが一番強いんじゃないか?」(安齊コーチ)
 「いや、あいつは言うことを聞かないからだめなんだ」(指導陣)

 当時のハンガリー柔道は実績も無いため、国から与えられる予算も少なく、各階級1名の選手を派遣するのが精一杯であった。しかし、「安齊コーチがそれほどまで言うのなら」ということで、締切り直前になって漸く、トンチェック選手の出場が認められた。

 ヨーロッパ選手権でのトンチェックは、安齊コーチが見込んだ実力通りの試合運びで順調に勝ちあがった。決勝で対戦するのは地元ソ連の選手。決勝戦を前にトンチェックを威嚇しようと、眼を付けながら前を行き来する。トンチェックは、安齊コーチに傍についていてくれるようにせがむが、国の正式コーチではないのでそういう訳には行かない。
 「私は観覧席に居て必ず見ているから私を探せ!私を見つけられるまで、呼ばれても出るな。」(見つけられれば必ず勝てるという暗示・安齊先生が学生時代に指導を受けた木村政彦先生は、試合場にはいつも顔を見せなかった、しかし会場には必ず来ていて、目立たない服装で柱の影で必ず見ていてくれる。その先生を見付けることが、勝利を確信する暗示としていたそうだ。)

 トンチェックは、呼び出されても出てこない。中々見つけられずにいたのだ。
 このままでは失格になってしまう。とやきもきしていた安齊コーチは、観覧席で立ち上がったり、手を上げるわけには行かないから身体を左右にゆすってみたりしていたところ、漸く見付けたと見えて、勢い良く試合場に躍り上がった。
 それからのトンチェックの強さは半端ではなかったそうだ。見事ソ連の選手を打ち破って、ハンガリーに初めての優勝をもたらした。

 安齊先生は、これに纏わる逸話を沢山交えながら、いつも長時間語って聞かせて下さる。
 この話も、3回位聞かせていただいている。
 余りにも長くなるので、続きや関連談は別な機会に紹介したい。



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