鶴田浩二さんの誕生日

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映画・傷だらけの人生の一場面  大正13年のこの日、鶴田浩二こと小野栄一さんがこの世に生を受けた日。
 世紀の大スターとして映画界の花舞台で活躍した鶴田さんは、この遠江にも所縁深い人だ。
 物心もまだ覚束ない頃、両親は離婚し、母親は他に嫁ぎ、幼い頃は祖母に育てられた。時折訪ねてくる母親との出会いを絡めた幼い頃の思い出話を、ある本で読んだことを今思い出す。
 そんな苦難の経験に培われた奥深い演技に、酔いしれた人は少なくない。
 「特攻隊の生き残り」「仁侠映画のヒーロー」「私財を懸けての戦没者遺骨収集」「歌う映画スター」等など、いろいろな姿を我々の思い出に刻んでいった男。もっと生きて、思いの丈を伝えていってほしかった。


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この記事へのコメント
鶴田浩二さんのLPを青春時代に聞きました。特攻隊がテーマだと思い出します。
「私は国の為に死んでいくのですから」というセリフを覚えています。
こんなことを申し上げる私も、古い人間でございましょうかね。
Posted by イチロー at 2005年12月07日 00:18
素早いコメント恐れ入ります。
お借りした写真は、昭和46年に上映された「傷だらけの人生」の一場面。
その時、鶴田さんは47歳の年。今の私と同じ歳です。私にとって鶴田さんとの出会いの年です。
今日のこの日は、一つの節目なのだと心得ています。


Posted by 曉遊 at 2005年12月07日 00:27
大変遅くなりましたがトラックバックありがとうございました。

私にとり鶴田さんは偉大な俳優であり大好きな歌手でもあります(無情のブルースが好きで)。
今年はケーブルTVで鶴田さんの作品をよく見れて良い年でした

今年は戦後60年、お元気だったならどのような言葉を口にされたでしょうね。

それでは、またここにも寄らせていただきます。
よいお年をお迎えください
Posted by ugetu at 2005年12月31日 00:27
トラックバックとコメントありがとうございました。
鶴田浩二さんは、私にとって心の師とも仰ぐべき存在です。
映画「傷だらけの人生」の殴り込みの場面に、無情のブルースが流れてきますね。私もこの歌は大好きです。
鶴田さんの生き様を伝えていくのは私たちしか居ないと思います。私のブログでも、今後折りに触れ、取り上げて行きたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。
Posted by 暁遊 at 2006年01月02日 23:56
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    コメント(4)